「旧日本兵2人 比で生存!!」ミンダナオ島 

引き揚げできず山岳に日本兵がいた!

このニュースが駆け巡ったが私は実際驚きはあったが、結果からすると偶然よりは必然的な事ではなかろうか。横井さんの時代と違い、イスラム原理主義であるモロ解放戦線等の拠点であるミンダナオ島において、浦島太郎的観点でそこに在住した訳ではないと思われる。やはり混乱の中で部隊と生き別れ想像に余る壮絶の中で、現地の人との深い繋がりを形成し(無論生きる為に)敗戦の事実を数年以上経過し知りしながら、築いた営みを捨て切れぬ思い、犯罪人としての裁かれるのでは?という恐怖、「生きて虜囚の辱めを受ケズ」の戦陣訓が自ら長く道を閉ざしたかもしれない。

恐らく10年前の終戦50周年にも帰国の機会があったような気がしてならない。何か様々な事情をも忘れ60周年という節目が全てを解決し二人だけでなくさらに数人(いやもっとであろう?)以上居ると思われる方々を早期に帰国させてあげたいと思う。

このようなサプライズ的な話題ではあるが、忘れてならないのはフィリピンでの日米の死闘は
世界戦史上でも類を見ない激しいものであり、且つ日本兵の戦死行方不明者は50万人以上、
フィリピンの方の犠牲者は100万人以上である。特に激戦のレイテ島においては日本軍は枯渇し米軍と現地ゲリラ、そして住民をも敵に回し壊滅していき、マニラでは日本兵により市民が虐殺され、アメリカ軍の無差別爆撃によりそれ以上の市民が虐殺。様々な意味で日米植民地争いに翻弄され過去、今現在とフィリピンは混迷しているし、その背景は深いものがあると思います。

話は戻り随分に御高齢である故に同じ日本人として是が非でも祖国日本の大地を踏んで欲しい。


※ 《第30師団》昭和18年6月、朝鮮・平壌で編成された陸軍最後の現役師団。
対ソ戦の訓練を受けていたが、19年4月、ミンダナオ島先制防衛のため対米戦備を整え出陣。
師団は16個の部隊などで構成され「機動兵力として随時重点方面に使用」との方針から、島を東奔西走し、終戦までの1年で500キロにおよぶ行軍を強いられた。戦死者は1万2000人を超える。(産経新聞より)

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